伊賀から伊勢へ続く道を走る
執筆:峰 啓介
- 院長ブログ
いつもブログをご覧いただきありがとうございます。
三重県伊賀市の歯医者、峰歯科・矯正歯科クリニックの院長KSK(けいすけ)こと峰啓介です。
先日、名張市のつつじが丘走友会の皆さんが、
名張から伊勢神宮まで約80kmを走るという記事を目にしました。
名張から伊勢まで80km。
車ならそれほど遠く感じませんが、自分の足で走るとなると大変な距離です。
しかも今年で20回目とのこと。長年続いている地域のイベントであり、参加される皆さんの体力と情熱には驚かされます。
しかし私はこの記事を読んで、ランニングそのもの以上に「道」に興味を持ちました。
なぜなら、この道は私が以前から注目している歴史の舞台だからです。
名張から伊勢へ続く歴史の道
今回のルートは、名張から御杖村、松阪を経由して伊勢神宮へ向かいます。
現在では伊勢本街道として知られています。
江戸時代には多くの参宮客が利用した道ですが、それ以前から人々が行き交う重要なルートだったと考えられます。
人が移動すれば、物が動きます。物が動けば、情報も動きます。
歴史を動かしてきたのは、こうした人や情報の流れだったのかもしれません。
→【おすすめ院長ブログ】大河ドラマでついに登場!伊賀の殿様といえば藤堂高虎
伊賀忍者も利用したのではないか

私は伊賀の歴史を調べる中で、一つの仮説を持っています。
それは、この伊賀・名張と伊勢を結ぶ道が、伊賀忍者たちの活動にも深く関わっていたのではないかということです。
忍者というと戦いや潜入ばかりが注目されます。
しかし実際には情報収集や連絡、人の移動が重要な役割だったはずです。
そのためには安全に移動できる道が必要になります。
もちろん確実な史料が残っているわけではありません。
しかし地形や当時の勢力関係、人々の往来を考えると、
この道が重要な役割を果たしていた可能性は十分にあると思っています。
→【おすすめ院長ブログ】伊賀の忍者が世界の富裕層を惹きつける|この街に住む者として
「影街道」というブログを書いています
私は現在、「影街道」という歴史ブログを書いています。
その中では、本能寺の変や天正伊賀の乱、服部半蔵、南北朝時代の出来事などを取り上げながら、
「伊勢と名張、そして伊賀を結ぶ道が歴史にどのような影響を与えたのか」
という視点で考察を続けています。
歴史というと有名武将や合戦に目が向きがちです。
しかし実際には、その裏で人が移動し、情報が伝わる道が存在していました。
私はそうした表舞台には残りにくい歴史の流れを「影街道」と呼んでいます。
▼ブログ『影街道』はこちら
https://kagekaido.com/
今も生き続ける人の流れ

興味深いのは、この道が現代でも生き続けていることです。
昔は徒歩で伊勢を目指した人々がいました。
戦国時代には情報を運ぶ人々が行き来していたかもしれません。
江戸時代にはお伊勢参りの人々が歩きました。
そして現代では、つつじが丘走友会の皆さんが走っています。
移動手段は変わっても、人々が伊勢へ向かう流れは何百年も続いているように見えます。
歴史は足元にある
歴史というと遠い昔の話のように感じます。
しかし実際には、私たちが普段利用している道の中にも歴史があります。
今回の記事を読みながら、改めて伊賀と伊勢を結ぶ道の面白さを感じました。
走友会の皆さんには、ぜひ安全第一で伊勢神宮まで走り切っていただきたいと思います。
そして皆さんが走るその道は、もしかすると何百年も前から多くの人々が行き交い、
歴史を支えてきた道なのかもしれません。